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愛する自信、ということ

 2018-01-31
今朝、息子のやることがいろいろ可愛いので「本当に愛おしいなぁ」ってうっとり愛を感じてたら、
そこにかすかではありますが、鋭く尖った一抹の切なさがあるのに気がつきました。

ひとが誰かを無防備に愛し切ることをどこかで躊躇してしまうのは、
この微かな切なさなのかもしれない。

切なさの中身は…
いつかこの子が私から巣立つこと、
彼も幼く可愛いままでなく変化をしてゆくこと、
いつか親を傷つけても自分の道を歩む選択をするかもしれないこと、
私の愛を彼が全て応えなきゃいけない義務はないこと、
私の愛を全て喜んで感謝するわけではないこと、
(つまり、愛を受け取るかどうかは相手の自由)
私が愛してるからといって彼が私を好きかどうかは別なこと、
そう、反抗期には冷たくされちゃう。


そしてなにより、この愛おしさのパワーのまま、
彼を抱きしめたらきっと彼は苦しくてもがくだろうということ。

比喩的にも、きっと、物理的にも(笑)


全身で相手を愛おしみほうけていたら、いつか不意にこれらに襲われ痛い目に合う。
それで傷つくくらいなら、愛することは手加減しよう、と、なる…のかも。

ちなみに、私が我ながらどこかサバサバとツンデレなのは、
多忙で構ってもらえなかった親との関係でこれらの痛みを味わったことがあるからと思ってる。

愛するよろこびは、これらを自分の内側に引き受ける勇気がない限り、
存分に堪能し切れないのかもしれないなあ。

相手が子どもでも、パートナーでも、友人でも。

…でもですね。

最近わたしはそこにちょこっと自信を持ちました。

愛する自信。

だからこれらの切なさを含めて抱えて、自分が愛おしいと思ったものに素直でいられる勇気が少し湧いてます。
そしたら無防備に存分に、愛する喜びを堪能できるのかも。
だとしたら、なんて幸せ。

この今朝の気づきを大事にしてみたいと思いました。

【わたしを生きる あなたと生きる】
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