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エッセイ:女の強さと男の強さ

 2017-05-02
エッセイ 【女の強さと男の強さ】

「きゃあ! 一千万円はしますよ、あの着物と帯!」

呉服商から着物職人、そして個人の着物好きが集まる
フェイスブックのグループページが一斉に悲鳴を上げた。

リオオリンピック閉幕式の小池百合子都知事を観てのことだ。

彼女は、雨が降るなか足を大きくふんばって、
ずぶぬれになりながら大きな五輪旗を振り、
時期開催都市である東京の存在をアピールしていた。

コメント欄には、
「ああ、絹を雨にあててしまったらどうなることか」
「海外に着物屋さんはない。きっとこの着物の手入れは数日後になる。致命的だわ」
と、着物がこうむっている被害への叫びが続く。

私はその様子を見て、
「一千万円をずぶぬれにさせながらの雄姿。男前だなあ」とつぶやいた。

しかし、即座に思った。
「ちがう、男前なんじゃない。この潔さは女性のものだ。つまり、彼女は女前なんだ」


昨今の女性活躍推進の象徴ともいわれる小池都知事は、
女性誌で「ハンサムウーマン」などと表現される。

私は実際の彼女を存じ上げないので何とも言えないが、
高価な着物がだめになるかもしれないリスクをものともせず、
凛と大役を果たす姿も、
ここにきて「豊洲? 危険なんでしょ? 移転延期よ」と言い放つ姿も、
実は「ハンサム」というより、とても女性らしい行動だと思った。

とはいえ、女性にも2種類ある。

女性というより「女性性」、と言った方がしっくりくるかもしれないが、
未成熟な女性(性)と成熟した女性(性)だ。

それを分けるものは自己確信である。

もうすこし耳慣れた言葉にするとしたら「自信」。

それは、「できる私」という有能さの裏付けがなければ保てないような、
もろい「自信」などではなない。

自分の優れた部分もだめな部分も両方を
「これでよし! これも全部、私。
長所も短所も、大事な自分の資質。
全部私のものとして愛する。
そして、活かす」
と自分を全受容している類の「自信」である。


私はこれを「自愛」に満ちた状態という。

「自愛」という自信を得た女性は、ゆるぎなく潔い。
いらんもんは、いらん、と言える。
着物、いらん。
豊洲、いらん。
いるもんだけ、いる。

そんな潔さは成熟した女性(性)の強さの特徴だ。
「ハンサム」ウーマンという男性向きの称号が頭に付けられた女性は、
実は女の中の女なのだ。

一方、男性の強さはというと、ちょっと違う。

男性の強さの特徴は潔さではない。
では、男性の強さの特徴とは、なにか。

男性である彼らの強さの源は、
「守りたい」という遺伝子に組み込まれた使命感だと私は思う。

男性は「戦う性」と言われるけれど、
「戦う」と表現するより、「守る戦士」と見た方が腑に落ちる。

彼らには、何かを守りたいという強い衝動が常にあるのだ。

決して戦いたいのではない。
彼らはただ、守りたいのだ。

おかげで人類は、
あらゆる外的から男性の強さで種が守られ、いままで生き延びてきている。

だから、現代社会においても男性は「何かを守る」という責任を持つと、
自分の範疇のあらゆるものすべてを無事に守りたいと心から願う。

わが身を捨ててもいい。
大切なものを守るためなら決してあきらめず、
粘り強く、誰ひとり取りこぼすことなく守りたい。

それが成熟した男性(性)のもつ強さだ。

腕力のある者だけが、
仲間すべてを守り切りたいという使命を全うできる。
男性の強さは、その腕力ゆえに備わった大切なものを守り抜こうとするしたたかさである。

これは私見ではあるが、某社による長年の粉飾決算事件や、
先の豊洲の状況がこれまで表に出なかった背景に、
私は男性の優しい強さが過ぎたのかもしれないと思っている。

これらは大事な人々を、ここまでの関係者の懸命の働きを、彼らはなんとか安全に守ろうとしたのだ。
ただ一途にそれをしようとした。

私にはそう見える。


一方、女性に腕力は与えられていない。

だから、守るために戦えない。

よって、すべてを守ろうとするのではなく、
直観で見抜いた本質を残し、
あとは「いらん」と切って身軽になる。

もしそれですべてを失ったとしても、「自愛」に満ちた女性は
「それがどうしたというの? この身があるわ」と立ち上がる。
名画『風立ちぬ』の主人公スカーレットオハラのように。



この、2種の性質。

女性の本質を見極め示唆するセンスと、
男性のすべてを安全に守り切りたいという願いとそれを実現する力強い腕力。


そこに、私は頼もしいチームワークスタイルを予感する。

それは、別に目新しいものではない。
韓流ドラマを観ているとよくあるパターンのもの。

自国の民や家臣、大切な友国のことを思うあまり有事の判断に迷う賢君の王と、
王宮に住む位の高い巫女のコンビネーションだ。

よくドラマの中において、
王は愛する何もかもを守りたいとき、その迷いを聡明で霊性の高い巫女に問う。

そして、彼女は本質を指し示す。
王は自分の男性らしい一途でパワフルなエネルギーをもって、
その最善の選択を全力で遂行する。

そんなスタイル。


女性活躍推進が叫ばれる昨今。
男性がリーダーであったことが当たり前だった日本では、
いま、新しいリーダーシップ像が模索される。

いままでのように、やはり男性がリーダーになるべきか。
それとも小池知事のように、女性がリーダーになるべきか。

女性の強さと男性の強さの質を見極めるとき、
このような2種のリーダーシップが織りなす新しいチームワークに、
私は大きな期待をしている。

≪終≫
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