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イマドキの「名より実」行動

 2017-12-12
【イマドキの「名より実」行動】

イマドキの「名より実をとる行動」だなあ、と思って、興味深く大リーガーに転身する大谷くんの報道を眺めています。
彼の報道を聞くたびに、新しい感覚を持った、この時代の若者なんだなあ、と感じますね。

さて、今回、オランダで対話した方々は、その多くが若い30代の方々でした。
自分も同世代のつもりでおしゃべりしてたけど、ところどころで感じる私の世代とはちがう、若い彼らの軽やかな感覚。
この大谷選手の感性とどこか通じるものを得ます。

目先の利益にとらわれず、今の納得を最優先している。

例えば、
仕事のあてはないけど、子どもらの教育のために相応しい国を調べ上げて家族でオランダに来た。明日の家賃もままならないけどあまりに日々に夢中で充実していて、不安を感じるスキがない、とか、

この先のビジョンは後回しで、思い立って大金かけてイエナプランを研究しに来たけど、仲間と多くを学んで満喫、とか、

旅行会社を辞めて、経験を活かしてフリーランスでオランダのガイドを始めた。食べていけるかわからなかったけど、結構私はなんでも楽しんじゃうしガイドは天職なので、幸せ、とか(彼女はすぐに売れっ子ガイドに)。

「名」としての目先のお金や肩書き、生活の安定より、
魂の希望という「実」を当たり前のように選択する素直さ。


しかし、彼らが気づいているかどうかは分からないけど、
その行動は、結果的に手堅いく満たされた人生を築く。

魂の希望を叶えるのだから当然こころは満たされ、
気持ちは明るく活発になり、頭が冴えるからヒラメキは増して仕事へのクリエイティビティは上がり、

結果的に「名」としてのお金も将来性(それは安定というより生きる力としての)も
手に入れて行く可能性があるのですよね。

これがなかなか、私たち世代から上くらいの、
旧式システム人間には踏み込めない生き方です。

多くの人が大谷くんに感じる好感は、恐れ(欲や保身や計算ね)より
みずからの真の願いをあっさり優先させる痛快さ。
今回お会いした30代の方々に感じたものも同じ。

恐れから動いていない混ざり物のなさが、こちらの曇りを拭ってくれます。

イマドキの「名より実をとる」行動をさらっとやっちゃう若きみなさんに、
人生の本質を見抜く、澄んだ目を見ました。
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食べていくために働くことができなくなった

 2017-12-11
【出来なくなった仕事】
今回のオランダ出張で仕事のミーティングをした方が素敵だった。
日本人の方ですが、話しているうちにふと感じて、
「あなたは、食べて行くために何か仕事をするって発想がないのですね。」
と、伝えました。

すると、
「それをすることは、結局、社会にもお客さんにも迷惑になるって気がついてしまったのですよ。
だから、やらないというより、出来なくなりました」
という答えが返ってきました。

わかる。

キャリアデザインを研究し語り始めた15年前から、
キャリアデザインを語る身ならば、
上記のような働き方・生き方を志し、貫きたいとわたしも願ってます。

だから、深く同意。

が…。
気づいたからと言って、その方の気づきのあとの転身ぶりが、
人間離れしてらっしゃるから素晴らしい。(詳しくは書けませんが)

当たり前のようにその生き方を体現してる人に触れることは、
言葉以上の衝撃がありました。

その衝撃は、「すごいな」というのではなく、
「あ、そりゃそーだよねー」という妙な当たり前感として影響を受けるほど…
超絶なもの。

在り方に触れるって、大事だなあ。

感じた「ときめき」を誠実にたどる、と決めた1年を過ごしてみて

 2017-12-11
【ときめきをたどる一年】

今日は、人に会うためにアムステルダムからさらに2時間移動。
そして、ぶっ続け5時間の熱いミーティング。
泣いて、笑って、気づきがおきて、さらにはびびってる私の背中まで押してもらって、
実に刺激的な1日だった。

自らの想いを最優先して生きているひとは本当に魅力的。
もう、自分の人生に夢中です!!
って生き方になるのね。

さて、なぜ、zoomミーティングでは満足できず、
わざわざ遠くまで来てしまったか。

それは、zoomじゃ足りない、会ってしゃべりたい、という「ときめき」が湧いてしまったから。

今年立てた抱負は「ときめきだけをたどると一年後にどこへたどり着くか、やってみよう」だった。

そこで、その抱負に忠実に、正直にときめきに従って生きてたら、
年末にはこうやって単身でヨーロッパまで来るなんてことになっちゃったのだ。

zoomで話すよりはずいぶんたくさんお金はかかったけど、まあ、しかたない。
ときめいてしまったんだから。

ときめきを実践するのは多少の勇気がいる。

お金、つきあい、義理、人情、見栄や気遣いの壁を超える勇気。

でも、実践すると、思いがけない出会いや発展がたくさんあった。
ときめきだけをたどるなんてことをして、なにか失敗はなかったか、と言うと、
実はひとつもなかった。

だって、すでにときめいていることをするのだから、
行動に起こせただけで気持ちは豊かになり、クリエイティブになり、
次のひらめきが起き、満たされるから周りに親切になる。

行動に移した時点で成功なのだ。


つまりは、ときめきを行動に起こさなかったとしたら、それが失敗だということか。

一年やってわかったことは、ときめきは「ピンときた」という直感のひとつであるということ。

かなり直感が磨かれた気がする。
いや、直感を信じる自分、を磨いた気がする。

来年はときめきをたどるのではなく、
ときめきが起きやすい自分をつくろう。

自らの心身を豊かに保ち、ときめきの感性を高めよう。
ときめきをたどる。

おすすめです。

気が向いた方、ぜひやってみてください。

おもいがけないところへ運ばれますよ(笑)

傲慢について

 2017-12-09
自分を私物化してはいけない~「傲慢」について】

まず、押さえておきたいことは、本来、自分は自分自身のものではないということ。

子どもと同じ。
身体も能力も感性も、基本的には天からの授かりもの・預かりものである。
だから、自分を私物化してはいけない
子どもを自分のもののように扱ってはいけないように。

今年1月にこれに気がついてから、この感覚はゆっくり増しています。

@@@@@@@@@@@@@

さて、傲慢とはなにか。
それは自分と、自分の身に起きていることを、私物化する事だと最近つくづく思います。

しかし、気がつくとすぐに自分を私物化している。
相変わらず、傲慢な私。

ほめられたら舞い上がり、否定されたらショックを受ける。自分がほめられたり否定された気になっている。
ほんと、傲慢な私。

自分が認識している自分のスペックと、本来のスペックはだいたいずれている。
それに気が付かず、つい謙遜したり背伸びをして何者かになろうとする。
ああ、なんて傲慢な私。

今朝は、かねてからやってみたいと思っていた仕事が、
ひょんなきっかけからわが身に降ってきていることに、腰が引けていた。

「私にこんなことができるのかしら」
「うまくやれるかしら」」と、自分の身に起きていることへの疑念が湧く。

そこで、聡明な友にメッセンジャーで「なんか急に自信がなくなってきた」と打ちあけると、
「ありのりに起きているその出来事は、
ありのり(私のこと)が自力でゲットしたのではなく、巡り合わされていること。必要でね。
自分じゃなくて起きたことを信頼するといいよ」
みたいなアドバイスをくれた。

そうじゃーん!!

全く私はどこまでも、傲慢だ。
全部自分でやっている気になってるんだから。

傲慢とはなにか。
それは自分を、そして自分の人生を私物化することである。

@@@@@@@@@@@@

自分で自分の人生をなんとかしなきゃ、と躍起になり、野心を燃やし、無理をし、内臓1つを取り出さなくてはならないほど身体を酷使してしまった傲慢な自分から、いい加減に卒業しよう。

そんな人生は、もう充分堪能した。
ごちそうさまでした。
これからは流れに乗っていたい。

自分の責任と限界に自己が一致する

 2017-12-07
【自分の責任と限界に自己が一致する】

やれることだけど、照れてやらない

やれることだけど、目立ちたくなくてやらない

やれることだけど、嫌われたくなくてやらない

やれることだけど、「わたしなんかが」と言ってやらない

内側にあるやりたいと思う気持ちを、素直に行動に移していない


これらは全て、社会へ、他者へ、自分への無責任だと、わたしは感じています。

背伸びをしてやる
無理してやる
嫌々やる
違和感があるのにやる
見栄でやる
好かれたくてやる
寂しさからやる
嫌われたくないからやる
損したくないからやる
能力が低いと思われたくないからやる

これらは全て、自分の守備範囲(限界)を超えた僭越な行いであると、捉えています。


若い頃、社会適応やスキル習得、可能性の確認のために、その無責任さや僭越さは自分に必要でした。

しかし、いい大人になったいま。

社会と自分の調和の中に自分が位置するために、自分の責任と限界に自己をフィットさせ、
あるがままで伸び伸びと人生を泳ぎたいと、感じます。


動きやすく着心地がよく、よく似合う服を着るように。

成人意識の発達理論の某文献を読んでいて、そう感じました。

「責任と限界に自己を一致させている」ときの、
自由さと溢れ出る創造性と満ち満ちたエネルギッシュな状態を、感覚的に知ってる気がします。

きっと、人生のどこかでそんな自分をだれもが経験していると思います。

目の前のことに囚われていると見失いがちになってしまうけど。

真のリーダー

 2017-12-03
部下が悪い、は3流のリーダー。
部下をなんとかしたい、というのは、無責任なリーダー。
私がこの状況を作っている、と自分と向き合えるのが真のリーダー。
(ただし、そこに自責の念は蛇足。罪悪感も無責任さの現れ)

自らが目の前の出来事を引き起こしている。
自らの内側が外に表出している。

内側に戦いのあるリーダーは組織内に戦いを生む。
内側に自己否定感(向上心と本人は認識しているかもしれない)があるリーダーはメンバーに落ちこぼれを作る。
内側に不安があるリーダーは手のかかる部下を作る。

外にあるものを見ると、自分の内側になにがあるかを知ることができ、
その内側の(自分との)戦いや(自分への)否定感や(自分への)不安と和解したら、
やっかいだと感じていた組織も部下も、豹変する。

これは、体験しないと信じられないかもしれないが、事実。

そんなのうそだ、と言う人は、多分、トライしたことない人だろう。

自分と向き合うのはかなりヘビーなことだから。
リーダーのみなさん、勇気を。

女性リーダーの引き受けるリーダーシップ考

 2017-12-02
女性リーダーの引き受けるべきリーダーシップとはなにか。
それは男性リーダーの真似事ではないはず。

このイマドキの問いが、今年立ち上げた会社(株)Coreleadにはあります。

もちろん本当は、女性、でなくてもよい。
女性性のリーダーシップを言いたいだけだから。

でも、だったら女性にコミットしたほうが手っ取り早いと。

さて、冒頭の問い。

女性(性)リーダーの引き受けるリーダーシップとはなにか。
それは何をやるか、ではない。

何をやるか、は、
マグマそのもののような男性(性)の得意分野。

それは、
どう在るか、である。

逞しく伸び伸びとした動きを部下が発動するために、リーダーとしてどう在るか。

あなたの前で、部下はどんな風に在る事ができているか。

それはどんなあなただからか。

まずは、あなたがあなたを生きているのか。

ひとを健全に導けるものは一枚岩のあなたのコアな在り方しかない。

株式会社Corelead、そんな想いでじわじわ動いてます。
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