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めっちゃ危険と思っているのは、まあ、たいてい気のせいだ

 2017-09-30
いま現在、死んでいないのなら、
少し先に危険が迫っていると頭で分かっていても、「死んでいない」今の状況を選択し続けていたほうが、生存の確率が高いと人間の生存本能は認識し、
「死んでいない」現状を、未知な状態に変化させることの方が危険で怖いこと、と判断している。
変化した方が、明らかにその先充足すると頭で分かっているのに、変化できない。
生存本能は知性じゃないから、反射的にそう認識して判断してしてる。
それほど「死んでいない」現状への執着が生存本能にはある。
だから、喫煙、深酒、過食を辞められない。
だから、だらだらゲーム、だらだらネットサーフィンを辞められない。
そして……、
だから、私は変えられない。
だから、仕事の量は減らせない。
だから、組織は変わらない。
こんなにぎりぎりの日本なのに、働き方を変えられない。
すっかり100年時代に入ってるのに、生き方を変えられない。
やりたい事があっても始めず、やりたくない事をやめられない。
分かっちゃいるけどやめられない。
あ、ほれ!スーイスイスーダラダッタ…♫
……って、こら。
何をやってるんだろう、私たちは。
人間に与えられた知性は、なんのための知性というのか。
生存本能の反射的な反応を、知性は乗り越えられるはず。
目の前の変化への恐れは幻想で、飛び込んでみたら消える亡霊たち。
一歩進めば、
亡霊は天使に変わる。
敵は味方だったと知る。
鍵がかかっていたと思ってたドアは、開く。
世界は反転する。
それを知ってるリーダーは組織に変化を起こせるだろうし、
それを知ってる個人は人生に変化を起こせるだろう。
目の前に立ちはだかる変化への恐れは、まあ、気のせいだ。
めっちゃ危険と思っているのは、まあ、たいてい気のせいだ。
生存本能を騙し騙し進むコツ。
難しく時間をかけて考えると、生存本能の恐れに取り込まれる。
シンプルに簡単に考えて、すっすっと動いてみること。
ちょっといたずら心でも起こしたつもりで。
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旅行中に受けた(ちょっとした)差別体験で感じたこと

 2017-09-27
キラキラ旅行報告もまだありますが、キラキラしてないところで、差別の体験でも書きますね。

欧米に行くと、日本では体験しない「尊重されてないなあ」の扱いを大なり小なり受けますね。
ただでさえ、お客様は神様扱いしてくれる日本から一歩でると、お客とお店はそこそこ対等な関係性だから、細かなところで面食らうものですし。

そこに「あー、これ東洋人への差別なんだねー」と気がつく何かに出会うと、軽くショックでへこんだりして。

スイスはその辺があまりない国とは聞きましたが、それでも、レストランで席を端の方に追いやられたり、
空港では私だけ軽く不当な扱いうけたり(それで怒って英語が上手に話せたんだけど(笑))、
ある観光地では、名所でそこの従業員さんが個人の持ってる携帯で順に写真を撮ってくれるのだけど、明らかに、本当に明らかに、私の時だけ無愛想、無口、返事なしだったりしました。

しかし、怒りというより、最近話題の「サピエンス全史」を読んでいたので、「なるほどーこれかあ、歴史感じるなあ」なんて、妙な感心(笑)の方が大きかった。

まあ、仕方ないよね、悪意というより、無知やホモ・サピエンスの長年の無意識な慣習なんだろうね、みたいな理解の感覚の方が大きくて、
有冬典子さんそのものが侮辱された感覚にはならなかった。

ただ、寂しさや悲しみはありました(T_T)
あ、空港では別ね。空港では明らかに不利益となりそうだったので、「こら、こっちが小さくて、顔平たい族だからって舐めたでしょ!」と思って、ちゃんと怒って主張できてよかった。
(「顔平たい族」わかる人いるかな?)

東欧で、そのときの空港での体験をはなしたら、日本と仕事してたことがあるという現地のお父さんが言ってました。
君たちもなかなか差別するよね、と。

当時のその方の部下だか同僚だかのある国の方が、日本人同僚?から本当に無意識なヘイト的なことをされたことがあるみたいですね。
日本人もなかなかえぐいよね、的なことでして、確かにネットで見聞きする話でもあり、耳がいたかった。
そんな経験と、この本のおかげで、
私は私の中にある、そして誰の中にもある、
差別意識暴走への小さな種をわかりやすく把握出来る体験ができました。

ざっと3つにまとめてみました。

ひとつは、むやみな清潔への傾倒。
これ、気をつけなくちゃいけないね。
清潔感や不潔感は、昔から差別意識醸造の大きなツールらしいのです。言われてみれば、確かにそうね。

あと、優越感と劣等感。
これは片方の強さの分、もう片方も同時に持っているということを、粛々と認めること。
劣等感が強い人は、同じだけの優越感を持ち、
優越感が強い人は、同じだけの劣等感を待ち、
それらはそのまま断絶を生んでいる、てこと。

「降りて行こう」と決めてかなり降りているつもりだけど、
もっともっと降りて優越感も劣等感もないところへ出たいと改めて思いました。

そして、最後は、人間のどうしようもない歴史。
いや、正確には、人間のもつエゴの歴史。

我々の深い意識は、どうも安全に生き延びるために、差別というシステムを生んだようです。

そして、エゴの怯えで我々は安直に二項対立を作り、まやかしの安全の中にいる。
誰かを犠牲とした安全のなかに。

もし今、「〜はおかしい!」と、どこか感情的に「正しい、間違ってる」を言い出したら、エゴの罠にかかってる。
どれほど正義を叫んでいても。多分。

我々には知性がある。
知性で自分の中に発生した白黒付けたくなってる意識に気づけるはず。
そしたら、何らかの形で発信、行動してしまう前に(それは多くの場合、正義のラッピングに包まれている)、まずは冷静になれる。

「あ、なんか私の中で始まった」って感じで様子を見れる。

冷静になったところで、最後に内的客観性。

差別を受けた時も、その逆にはまったときも、自分の中にある全部の状況をただ「みる」こと。

むやみな「怒り」や「疎外」だけでなく、
ちゃんと、
悲しみや、
笑顔を交わしたかっただけという願い、
小さくよぎった不潔感への攻防の意識、
その不潔感が根拠のないものであると知ってる知性の声、
こっちの正義と相手の正義それぞれのもっとも感、
こちらの劣等感、優越感、
相手の劣等感、優越感…
などなど。

あ、あと、忘れてはならない自分と相手の「誇り」もね。

とにかく、それらを全部眺めてみること、なのかもしれないね。

そうしたら、この世から差別はなくなる…、のか?
そんなの、私にはわかんない。

過去何万年も続いてる人間の差別の歴史に、この胃腸の弱い私が(笑)、到底たち打ちできる気もしないし。

ただ、自分という個人の中に沸いたその種は(繰り返すけど、差別されてもしてもね。自分を含めた誰かを裁いたらそこに差別の種はあるから)
その種から芽吹いた黒い花の花粉を撒き散らす前に、
知識や客観的内観で、知的好奇心で存分に楽しめるみたい。

つまり、その内側の現状を楽しめたところで、感情をダダ漏れさせることなく、ある程度楽しく消化して、まずは全て善き思い出となって笑い飛ばせてる。

私が責任を持てるのは、ここまで。

自分に降りかかったものを自分の中で責任もつ誠意を意識するまで。
まずは、そういうことだな、と考えてました。
環境が変われば、色んな体験ができますね。

何はともあれ、
スイス、大好き。
東欧も大好き。
またヨーロッパへ行きたい

働き過ぎは奴隷みたいでいけない、という、失業率30パーセントの国々

 2017-09-26
【働き過ぎは奴隷みたいでいけない、という、失業率30パーセントの国々】

ちょっと東欧へ足を伸ばしておりました。
そんな中、こんな十戒を見つけました。

東欧モンテネグロの言葉だそうです。
わたしは、昨年のLAのように、また細い細ーいツテを伝って、その隣の国セルビアへ行ってましたが、もともと同じ国でしたよね。

先進国とは全然違う職業観に触れるのが楽しみでしたが、やっぱり全然違いました(笑)

失業率30パーセントなのに、みんな陽気で昼間から、若者やいい歳したおじさん(おそらくみんな失業中だそう)カフェでおしゃべりして、親切で気のいい方々ばかりでした。

この国には、多分ニートという辛気臭い言葉はないのでしょうね。

この目ウロコな十戒をどうぞ。
モンテネグロは、怠け者ではない、怠惰を愛しているんだ、という感じだそうで。

ガツガツしないことがいいんだ、的なこと、確かにセルビアでも現地の人が言ってた。
読み終わる頃、きっと何かが自分の中で崩れ落ちるでしょう(笑)


1.人間は疲れて生まれてくる。そして休むために生きているのだ。
2.自分自身のように自分の布団を愛せ
3.夜よく眠れるよう日中は休息すべし
4.働くな。仕事はあなたを死に追いやるのだ
5.休息している人を見たなら、助けを差し伸べなさい
6.できるだけ少なく働きなさい。もしできるなら他の人にやらせなさい
7.木陰は救いである。そこで休むものは未だかつて死んだことがない
8.労働はあなたを病いへと導く。若いうちに死んではいけない
9.もし突然に働きたいという願いが沸き起こったなら、まず座り、冷静になれ。そのうちその願いは消えるだろう
10.飲み、食べている人たちを見つけたなら、彼らに加わりなさい。働いている人を見たなら、すぐさま遠ざかりなさい。彼らを邪魔してはいけないのだ

 上記出典はこちら

お行儀悪いの、好き

 2017-09-23
【お行儀悪いの、好き】

スイス鉄道で移動してます。

通路を挟んだ隣の席の女性は、
ファンデーションからメイクをスタートし、
ただいま、長いまつ毛にさらにマスカラをつけて、
セクシーな目元の仕上げに入っています。

ああ、長い睫毛が塗りやすそうで羨ましい。

向こう側のご婦人は、
靴のまま(西洋だから?)足をのばして前の座席に乗せてます。

少し先に座ってる男性は、
ウィダーインゼリーみたいな容器を口にくわえたまま、
両手で一心にメールを打ってます。

と思ったら、後ろの席で電話が鳴って、話し出した方がいます。

すると、お化粧を終えたかの美しいひとは、
イヤホンから音をシャカシャカさせて音楽に浸り出しました。


どれも、日本だと顔をしかめられるか、
密かにSNSで陰口されるか、
ポスターなどで控えるよう促される行為ですね。
(通話はもちろん、お化粧は迷惑よ的なポスターもありましたね)

こちらでは、誰も何にも気にしてません。
だからか、私も別に気にならないです。

私は日本の品の良いお行儀の良さは好きです。
こちらの気分を害してこない快適さとお気遣いからの尊重感と、安心感を感じます。

でも、日本という国は、
いつも周りがどう思うか、
迷惑をかけていないか、
みんなが気にして過ごしている気がします。

「あれは良くないわよね、言われる前にその迷惑に気がつくべきよね、だから罪」的な『裁判官』を、
(私も含め)個人も社会も自分の中に抱えて過ごしているのでしょうね。

そして、当人にはっきり意思を言えない我らニッポン人。

こちらの方々、多少混んでいても座席に平気で荷物を置きます。
しかし、「どけて」と言われたら、「はいよ」という感じでどけています。
さすが、アサーティブ。

私は、そして多分、わりと多くの日本人は、
電車がそこそこ混みそうなら、まずは膝に置いておき、
誰も座らなさそうなら、遠慮がちに座席にカバンを置くなんて気の遣い方をしてしまいます。

そうやって日頃から過度なほどに気を遣う、察する文化が、世界に誇る日本のおもてなし文化を支えていると思います。

ですから、何かとお行儀のよい日本が好きです。
大事にしてくれるから、大事にしなきゃ、と思える感じが紳士的です。

でも、こちらのこのお行儀の悪さは、快適です。
好きなことするから、好きにしてて、な感じで楽チンです。


さて、わたしも靴を脱いで(日本人のサガ?)前の座席に足を置き、いまからパンでも食べます。

そのあと、口紅くらい直そうかな。

あ、4人掛けシートに座ってた若い女の子が、隣の人が駅で降りたら、そのまま座席に寝転んだ。

…すきだ。
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