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「葛藤の中に生きるとき、統合的に実現される。」

 2015-06-21
Tグループでの学びの参考書『人間関係トレーニング』ナカニシヤ出版より

『「私が私として生きること」と「私が他者とともに生きること」とは、
(人間関係トレーニングでは)「葛藤の中に生きる」ときに統合的に実現されるといえるでしょう。』

と書いてあります。(P122)


『葛藤の中に生きるとき、統合的に実現される。』!!!

「あなたと生きる」探究を進めていますが、
この箇所を読んで、なんか、ガツンと来ています。

意味はまだ掴みきれていませんが、体の反応だけ来ています。

ここだよ、キーはきっと。

さーて。

『私を生きる あなたと生きる』
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「あなたと生きる」というステージの、ドアをたたく。

 2015-06-18
◆活動理念『私を生きる あなたと生きる』
~「あなたと生きる」探究のためのTグループ参加レポート

6月13日から18日まで清里の「清泉寮」にて、
Tグループ(人間関係トレーニング 主催JIEL)に参加しました。

Tグループとは、
『10名程度が1グループになって、
自由な雰囲気の中で対話を続けていくと、
自己理解や他者理解、受容や共感、傾聴や援助関係、
コミュニケーションやグループプロセス、
などにかかわる様々な現象が起こります。

その時その場に起こっている人間関係や自分や他者のありようについて、
気づいたことや感じたことをお互いにフィードバックしあうことによって、
生の人間関係から学ぶことが可能になるのです。』
(Tグループを紹介するHPに書いてある文言より)

最終日、
トレーナーの方がおっしゃった

「Tグループは20世紀最大の発明で、民主主義の原点。
決して多数決で物事が決まるのではなく、
ひとりひとりの意見が大切にされ、丁寧に扱われる場」

という言葉が大変印象的でした。

女性活躍促進やグローバル化、
ダイバーシティ化が進む組織においては、
このスタイルを取り入れることが持続の可能性を産むと感じました。

さて、トレーニングは、ただただ、毎日、「対話」の時間が積み重ねられるもの。

なんのテーマも与えられず進みます。

そこで、場に何かが起きる。

スタートする。

次第に対話が「生」になっていく。

自分と相手と場に、皆が誠実に丁寧に寄り添い続けようと心を砕く。

安全な場には痛みも表現されることがある。

その痛みが友情を呼び、友情が自己愛(利己愛ではない)を生む。

思いがけないところから手が差し伸べられることも何度も起き、

場というものは、実は見事に支え合い調和していることを知る…。

それは疑いようがないものであるということを、体験しました。
これが、場のダイナミクスというものなのですね。

そして、その体験こそが、
私を「わたしを生きる」から「あなたと生きる」へシフトアップさせました。

毎回セッションの後はメンバーみんながへとへとでしたが、
得難い貴重な6日間でした。


~学びのまとめ~

◆「あなたと生きる」の学び◆※私の体験からの学びです。

・あいての感情や思考や想いに関わり続けるとき、ひとはひととようやく「出会う」。

・ひとは、ひとと関わりたいと思っている。声を掛け、手を差し伸べ、世話を焼く。「関わり」の中に非常に豊潤なこの世の「何か」(←まだ言葉が浮かばない)がある。

・本当の想いを見せない。感情を表現しないということは、少しづつ自分を孤独へと向かわせる。

・だれかの「感情」を見過ごすたびに、少しづつ自分を孤独へと向かわせる。

・「愛とは関わり続けることである」

・素直な自分を表現し、それを丁寧に受け取り合うもの同士が交流すると、そこは完璧な調和の場となる。チーム、グループ、コミュニティ。



◆私の個人的な気づき◆

「私を生きる あなたと生きる」が
わたしの人生と仕事における活動理念ではありますが、
長年、「私を生きる」の部分を徹底的に極めていました。

そこを極めたら、
他者と建設的に、そして素敵に関わり続ける「あなたと生きる」につながると信じていました。

自分で自分を幸せにするひとが、初めて他者を幸せにできる、
そう思っていました。

だから、内側に感情が起きたとき、
その全てを自己探求の材料とし、
自己理解を進め、自分に寄り添い、自分を癒し、
自分で自分をちゃんと幸せにできるようにしていく。

それが精神的な自立であり、
ひととしての成熟であると信じて疑いませんでした。

それは、間違いではなかったと思います。

おかげで、わたしは自分で自分のことを、
いつも朗らかで楽しい状態に置くことが、
かなり上手になりました。

そこに自己犠牲的なものもないように(自己犠牲的に感情を殺すと、きっと別のところで剣となると思うから)、
ちゃんと自己共感、自己受容も行いつつ、

長い時間をかけて、「わたしを生きる」が達成されていっています。

かなり、ストイックに自分と向き合いました。

一方で、
「あなたと生きる」ということは、
極力「あなた」が生きたい生き方を尊重し、そっと見守ることだと思っていました。

だから、
友の生き方をいつも応援し、尊重していました。
私のエゴからの介入やおせっかいは極力しないように気を付けながら。

子育てのポリシーさえも、
「子どもの成長の邪魔をしない」を掲げてきました。

相手の好きなように生きさせてあげることが、「愛」であり、
そばにいること
だと思い込んできたようです。

それは決して間違いではなかったけど、今回の学びから、
愛とは、(私の基準からしたら)ほんの少々おせっかいなもののようだとわかりました。

「関わり続ける」ことが、「共にいる」ことであり、
そこに大変豊かな人間関係の可能性と体験が存在していること
が、
今回本当によくわかりました。

わたしは少し「おせっかい」になってみたいと思います。
いい意味でのおせっかいになってみたいと思います。

そして、少し甘えることを学ぼうと思います。
いい意味での「甘え」を手に入れていきたいと思います。

「私を生きる」ことを探究した先の「おせっかい」と「甘え」。

そこに「あなたと生きる」があると、いま、仮説を立てています。



日常の実験に入ります。
まずは、家族から。
そして友へ。また、仕事でも。

ああ、ものすごく楽しみです。

人生に対する喜びと可能性と手ごたえを増した感じがしています。

探究は続きます。

『私を生きる あなたと生きる』
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