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【光の強い人・闇の強い人】※追記:「人」を「時」と置き換えても可

 2016-07-07
【光の強い人・闇の強い人】※追記:「人」を「時」と置き換えても可
いろいろ最近ひとを観察する機会があり、ちょっとまとめてみたら興味深かったのでアップしてみました。

光が強い人は魅力的である。イメージは、さわやか・透明感・元気はつらつ・あたたかい。

闇が強い人は魅惑的である。イメージは、鋭さ・情熱・俺様・小悪魔。




光だけでは生きていけない。生きるためには闇のもつ強さ、したたかさ、泥臭さが必要。

闇だけでは生きてはいけない。生きるためには光のもつ世界への信頼が必要。




そして、




光が強い人は、傲慢である。自分の闇が見えない。だから、不意に自分の闇に襲われる。

闇が強い人は、偏屈である。自分の光を信じない。だから、不意に自分の光に苦悶する。

ちょんまげ。




光が強い人は、闇の強い人を通して自分の闇を刺激されて相手を嫌悪し拒絶する。

闇が強い人は、光の強い人を通して自分の光を刺激されて相手を嫉妬し憎む。

ちょんまげ。




光が強いだけでは、人はつながりを感じられなくて近づけなくなる。

闇が強いだけでも、人は怖くて近づけなくなる。

ちょんまげ。




光が強い人は、闇の強い人の光が見える。伝えたところで相手は受け取らない。

闇が強い人は、光が強い人の闇が見える。伝えたところでやはり相手は受け取らない。




そして、互いによく惹かれあう。なぜなら、本来、ひとは統合に向かいたがるから。

そばにいて、安心感はない。でも、興味がある相手がそれ。

その相手は、見えていない自分の部分。




統合を目指すならその相手との出会いは大変なギフト。祝福に値する。




※闇というのは心理学的な用語「シャドウ」の闇です。




※人は内的に光と闇の両面を同時に持ち合わせています。闇だけ強いとか光だけ強いとか、ないです。




※その両面を自分の中に「ある」と認識し受容することが統合です。




※ちょんまげ、は、なんか重くなるのが嫌だから入れてみた。あはは。

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光と闇の番人になるということは

 2016-03-03
その業界の友人から聞いたはなし。
検事をしていたひとが辞めて弁護士になることをヤメ検というらしいが、ヤメ検の中には、それまで検事だったにも関わらず一転闇の世界の弁護をする道を選ぶひとは決して少なくないとのこと。

一部のヤメ検のそんな姿には後ろめたさや悪びれる様子もなく、同業の弁護士から見ても、まるで本当に闇に取り込まれた感じがするらしい。その高い知性、能力、スキルと経験が社会の闇に加担することになるのか…。なんとも無念だなあ。

光を正義として闇を敵視しつづけると闇に落っこちる、という心理がひとにはあるが、そういうことなのかな。

検事や弁護士のような、光と闇の強いコントラストの中に日々立たされる仕事をするひとに、その辺りの危うさはどのくらい共通認識として予防的な学習や施策が促進されているんだろうか。

…まあ、いないんだろうな。

目の前の友人もベテランではあるが、仕事の精神的な限界に悩み、その妥協点や突破点を模索せずにはいられないらしい。リアルなはなしはコンプライアンス上話してはもらえないが、そのようすから法曹業界の現場は本当に厳しいものだと感じた。

光と闇のはなし、それを超えた「全体性」というもののはなし。光は闇を包めるし、闇を突き抜けるとそこに光があるという真理。その両方および周辺の感性に自覚的になる必要性。

まだ自分の体験を通し検証過程にいるから拙い説明になるのがもどかしいけど、近年徐々にまとまりつつあるこの辺りのことについて、私の知る限り、感じる限りでなにかヒントになればと語り合った。
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