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スマートマジョリティ

 2018-04-10
【スマートマジョリティ】
ある記事がありました。

土俵の女性が乗ったことで日本中から責められている若い行司さんを、ダウンタウンの松本さんが「この人もまじめやったんやろうなあ」と言った。「真面目な組織人ほど、嘘や不正をしやすいもの」とまとめられた記事でした(今はもう消えてる)

私も、この記事を書いた人と同じ視点でこの騒ぎをみておりました。
そして、「真面目がゆえ協会の秩序を乱した貴乃花親方を袋叩きにした」あたりを見届けたところで、あの騒動の記事を追うのをやめました。

なんだか、残念すぎて、過ぎて、過ぎて、過…まあ、なんか、あほらしくなっちゃって。

ちなみに、成人意識の発達理論って、たしかアイヒマンの思考停止の研究から進んだと、学びました。
この理論では、全体の7割を占めると言われる第3段階は、自分の思考で考える前に自動的にコミュニティのルールを盲信するところが特徴と説明されています。
「だって、決まりだし」
「だって、そういうものだし」
「だって、上がそう言うし」みたいに。

よって、私は、ひとというものは、つい場のルールを盲信してしまうものなのだ、ということに気が付くことが大事だと思います。

さらに、そこで一旦「今、信じているものや信じているリーダーは、本当にたしかなものなのか、本当は自分はどう思うか」と自問し、改めて選びなおす…そんな賢いマジョリティになるとよいなあって願いがあります。

私はそれを、スマートマジョリティって造語を作って発達理論のセミナーではお伝えしています。

今信じている「当たり前」をちゃんと客観的に見つめなおす意識をもつ。
それがスマートマジョリティ。

真面目に生きない。ルールに生きない。ちゃんと自分で選んで、わたしを生きる。
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心配を祝福に〜心配の取り扱い上級者編

 2018-04-05
【心配を祝福に】

長男の入学式でした。
中学生の入学式も合同で…男の子の大群です。
学ランで真っ黒な会場に響く低い声…(笑)
もう慣れたけど。

長男については、この3年間心配しっぱなしで、
本当に、ほんっとーに、母親として精神的に鍛えられました。

ただ、コミュニケーションの勉強なんかをやっていると、
心配は不幸を願うも同じことだ、と知識で知ってしまいます。

とはいえ、「わかっちゃいるけど、心配だー、寝ても覚めても気になるぞー」と、自分の心配心をひどく持て余すことも多かったです。

「心配とその対処法」ってテーマで、ちょっとしたレポートが書けるくらい、心配ってやつと付き合い、探求した気がする。


ある日、いよいよ、のっぴきならない壁に彼がぶつかり、私の気持ちが千々に乱れまくったときがありました。

そのとき、激しい心配の渦の中で、ふと不思議な境地に立ったことがありました。

「ん………?あれ?
この子、もしかして、いますごく豊かなものを味わっているんじゃない?」と。

悩むことはいい体験になる、とか、そんな言葉でリフレーミングしたのではなく、ただ、なぜか、本当にそうだと感じてハッとしたのです。


そして、
「ああ、この子はいま、生きることを全身で生々しく味わい、堪能しているんだなあ」と、悩みの最中の彼を心から祝福したくなってしまったんですよね。
そしたら、わたしから彼へかける言葉まで、丸っと変わってしまいました。

そしたら急に、私が呑気なことを言うようになったから
「もう、お母さん、なに呑気なこと言ってんの(笑)」と、深刻だった長男も、調子狂って笑っちゃってました。

久しぶりに緩んだ顔を見て、「ああ、こういうことなのねえ。心配するのではなく、信じろ、ということは」と、新しい人生の発見をした気分でした。

この3年間の一番大きな学び。まさに、心配の取り扱い上級編のような体験でした。


それにしても、「心配」から言葉を発していたときの、
腫れ物に触るような声かけ、
慰めているようにみえて「信じてない」が混ざったうわべの言葉…。
きつかったろーに。
ほんと、ごめんね。


ちなみに、なぜ、私がそんな境地に立てるこころの隙間が出来たか。

それは、彼の窮地に、夫が息子に「いつでも帰って来ればいい」と、伝えた姿を見たから。
実は、私は夫が一番あわてふためき動転すると思ってました。なのに、迷いなく伝えたこの言葉。
それで、なにか私の枠がポロっと取れたのです。

さすが、ご縁あっての家族づくりプロジェクトパートナー。
片方へこめば、片方がんばる。

長男よ、たくさんの貴重な学びをありがとう。

高校進学、本当におめでとう。

さあ、次はどんな3年間を創るのかな。
お母さんはもう平気だぞ。なんでもこーい!

コンペイトウを手放せば・・・

 2018-03-20
問題だ、問題だ、と言っている内容があまり問題に見えない件。
その握っているコンペイトウを手放せば、壺から手が抜けますよ、という話が多い気がしてね。
握っているものをよく見ると、大したことないことが多い。
既成概念の枠がどんどん外れて行っている今の時代はとくに、ね。

遠慮は社会の迷惑です〜から、1年。

 2018-03-20
【「遠慮は社会の迷惑です」~相対からの絶対への意識の脱出】

これは、1年ほど前に書いて採用されたエッセイです。
「遠慮は社会の迷惑です」

このエッセイを書いた昨年の2017年は、私にとって、
謙虚さがどれほど傲慢な事かに気が付いた年であり、
光の強いひとがどれほど自分の光を恐れているものかを知った年であり、
自分自身を私物化してはいけない、と気がついた年である。

謙虚さとは、意識的にやるものではなく、他者評価に過ぎない。

光と向き合う勇気は、闇と向き合う勇気と等しく、恐ろしいことだし、苦しいもの。
…であるのはよく分かるが、一方で「わたしなんて」と遠慮して持てる才(光)を出さないことが、どれほど傲慢で強欲で保身の強い行為でもあると思う。

その謙虚さは、持てる才を我がモノと思い込んでる証拠ではないか、と。
その才と、それを磨く機会を与えられただけなのに。

周りからやってくる嫉妬や妬みという恐ろしさを超え、
もしくはそれを受けることなく、
もしくは、華麗にスルーして、与えられた才を世に放つためには、

長年社会に植え付けられた相対意識から、
存在の絶対意識へ脱出することが不可欠なのかもしれない。

自分への厳しい評価で動けないときも、同じこと。

相対から絶対への脱出は、
自分自身を私物化する意識から脱却することになる。


ダイバーシティと組織での発信力について毎日語る今週は、このことを改めて考えています。

日常の行動の優先順位を変えると、人生は激変します。

 2018-03-11
日常のさまざまな行動の優先順位を変えると、人生は激変します。

「ワークライフバランスとは、自分が大事にしたいと思うことに、ちゃんと時間を使えるようになることを言う」
と教えてくれた友達がおり、私はその時ひざを打ちました。

幸せへの近道はそういうことだなと。
そして、『わたしを生きる』とはそういうことだなと。

しかし、私たちの優先順位づけは、結構甘い。
なぜか。

それはおそらく、自分が本当に優先順位を高くしたいことって、
目の前の義理や慣習を手放す勇気がいるものだったりするからかも。

そして、まだまだ時間はたくさんあると感じるからかも。

だから、「本当は〜したいんだけどね」なんて言って、
やすやすと後回しにしちゃう。

でも、誰かが命を落とす時、
私たちは与えられている命の有効期限を知らないことに気づき、
生きている時間の貴重さをリアルに感じます。

そうして生の貴重さを認識し、
目の前の1分1分を丁寧に生きたい、
義理や慣習を放り出し、
自分が大事にしたいことをちゃんと大事にして生きようと、心に誓う。

しかしまた、それを…忘れる。

こうして、いつも私たちはつい生きている時間に傲慢になり、
生命を無駄遣いしてしまうものですね。

だからこそ、去った人々が残してくれた「生きている奇跡」のリアルを思い返す機会が必要なのだ、と感じます。

今日は、そんな大切な日。
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